医師転職体験談 Vol.6

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1年の約束のはずが、気付いたら8年間も奉公…

外様扱いはもう嫌!医局に邪魔されないようコッソリ転職

外様扱いはもう嫌!医局に邪魔されないようコッソリ転職

産業医元村 美香(仮名)さんの場合

 あこがれていた研修システムを受けたい一心で出身大学外の医局に入るも、数多くある関連病院でも最果ての勤務先を押し付けられる。半年という期限付き派遣のはずが一向に戻れず、週の半分は当直という激務に外様の悲哀を痛感。両親の体調の悪化を機に一大決心をする。


—— 出身大学外の医局へ入ったのは、なぜですか。

 私が大学を卒業する頃は、母校の医局へ入るのが当然という風潮でしたが、私は誰しもがあこがれるA大学の入局試験を受けました。どうしてもA大学に行きたかったので、試験に合格した時は本当にうれしかったです。

 入局してみると、メンバーは50人ほどでしたが、A大学出身者が8割、私を含めその他の大学出身者が2割。
 そして、キャリアを積んでいくと分かったのですが、A大学出身者とそれ以外には歴然とした待遇の差がありました。研究費も外様だとなかなか融通してくれなかったり、研究の対象になりそうな患者を紹介してもらえなかったり…。それでも大学病院にいる間はよかったのですが、医局人事で「自分が外様である」ことをまざまざと思い知らされました。

 関連病院と大学病院で8年間勤務した後、教授から異動を言い渡された先はB県のC病院。そこはA大学傘下の関連病院の中でも最果ての場所でした。それまで女性の医師で遠方の関連病院へ派遣された人はいませんでしたから、本当に驚きました。

—— 結局、C病院へは行ったのですか。

 行きました。C病院は困っているみたいだし、「先生、C病院に行ってください。1年だけですから」という教授の言葉を信じて、まあ1年ならいいかと。「ここで我慢すれば1年後には良い話をくれるかも」という期待がありました。

 C病院での勤務は慣れるまで大変でしたが、ほのぼのとした雰囲気でいい人たちが多く、仕事はやりやすかったです。あっという間に約束の1年が迫ってきましたが、教授からは何の連絡もない。そこで私は教授に手紙を書いてみたのですが、返事はありませんでした。在籍期間も長くなり、C病院の院長が私を評価してくださって、ますますC病院から離れられなくなったんです。

 この時、当の医局では教授戦の真っ最中で、揉めに揉めている状態だったのです。私を含めた関連病院に派遣されている医局員は、完全にほったらかしになっていました。それでも「いつかは帰れるだろう」と思い、転職なんて真剣に考えたことがなかったのですが、あることを機に医局を離れる決心をしました。

 1つは激務が続いたことです。ある大学がC病院から医局員を全員引き揚げてしまい、内科の医師がそれまでの3分の1まで減ってしまったんです。気付くと、週の半分は当直に入る生活が1年以上に及び、こんな生活をいつまで続けられるんだろうと、ぼんやりとした頭で思っていました。
 そして、もう1つ私の背中を押したのは、両親の体調の悪化です。「とにもかくにも今すぐ戻らなきゃ」と思ったんです。

—— 転職活動はどのようにされたのですか。

 「他の病院に移らせてほしい」とか新たな勤務先を医局に相談する気はさらさらありませんでした。私を最果ての病院へ追いやり、長い間、放置してきた人たちです。何らかのメリットがなければ私のために動いてくれるはずがありません。誰1人信用できなかったし、反対に何をされるか分からないと思い、自力で転職先を探しました。
 糖尿病と内科の専門医ということで働く口は多いと思いましたが、数多くの糖尿病患者を診る中で予防の大切さを感じていたので、健康な人たちに直接アプローチできる産業医になろうと決めました。

 メディカルキャストの転職情報サイトで「産業医」という検索ワードを入れて出てきたのが、今の勤務先です。メディカルキャストを通じて応募したのですが、転職先が病院でなく企業という事で応募から内定までに4カ月もかかりました。応募要件は産業医の資格があることのみ。資格があるとはいえ、産業医としては働いたことのない私をよく採用してくれたなと思います。メディカルキャストさんの転職支援が良かったのかもしれません。

 今の勤務先に産業医としてかかわることになって4年。日本全国に散らばる従業員5000人の健康を守るのが、私の仕事です。具合が悪い社員を診察したり、健康診断の結果の判定をしたり。メンタルに関する相談も少なくないので、改めて勉強もしています。責任は重いですが、充実した毎日を送っています。現在の年収は約1200万円。以前より200万円ほど少なくなりましたが、実労働時間で時給を換算すると3倍に上がりましたから、とても満足しています。